★ パラレルライン狂想曲 ★
クリエイター犬井ハク(wrht8172)
管理番号102-2464 オファー日2008-04-04(金) 19:02
オファーPC クレイジー・ティーチャー(cynp6783) ムービースター 男 27歳 殺人鬼理科教師
ゲストPC1 ゆき(chyc9476) ムービースター 女 8歳 座敷童子兼土地神
ゲストPC2 フレイド・ギーナ(curu4386) ムービースター 男 51歳 殺人鬼を殺した男
<ノベル>

 0.災厄−再燃

「見、つ、けた――……」
 彼は、震える声を抑えながら呟いた。
「こんなところに、いやがったのか」
 物陰。
 彼は息を殺して隠れている。
 見つからぬように。

 ――誰に?

 決まっている。
 視線の先で笑う、白い男に、だ。
「何、笑って、やがるんだ」
 ごくり、と息を飲み込んで、彼は呟く。
 男の周囲には、制服を着た少年少女がたくさん集まっていて、男の出で立ちには特に頓着もせず、楽しげな会話に花を咲かせていた。
 男の凶顔さえなければ、それは、楽しげな日常のワンシーンに過ぎぬ、どこにでもあるような光景でしかなかっただろう。

(Good-bye,My Enemy)

 脳裏に声が聞こえた。
 追い詰められてゆく自分の姿と、狂った笑みを貼り付けた凶顔と、無慈悲かつ正確に、真正面から振り下ろされる鉄塊のヴィジュアルが、思考の中でちかちかと明滅する。
 ――死んだ、と、思ったのだ。
 あの凶悪な鉄塊に頭を砕かれて、自分の人生は終わったのだと。
 それが、
「……冗談じゃ、ねぇ」
 ふと目を開けたとき、彼はここにいた。
 終わったはずの人生が、実は終わっていなかったと安堵すると同時に、今の自分が、銀幕市と言うまちに実体化したムービースターという存在なのだと知った。
 自分が、本来は映画の登場人物に過ぎないと知らされたことはショックではあったが、それよりも彼が恐れ、不安に思ったのは、映画から実体化してくるということは、彼の怨敵たるかの男もまた姿を現すのではないか、そのとき自分はどうなるのだろうか、と言うことだった。
 そして、不安が事実ではないように祈りつつ、噂を頼りにまちを捜索した彼は、結果、不幸にも男を発見することとなったのだ。
「見つかったら、殺される……」
 彼は自分のしでかしたことを知っている。
 残念ながら彼の故郷たる映画は古く、脚本にも設定不足が目立ち、彼には自分自身にも判らない思考や行動がいくつもある。そのひとつが、男の大切なものを――彼にとっても、大切でなかったわけではないものを――我が手にかける、という行為だった。
 その行為自体を消し去ることはできない。
 男の怒り、狂気の入り混じったそれを、彼は多少なりと理解は出来る。
 ――昔は、同じ場所で、同じ目的、同じ理念のために働いていたのだから。
 しかし。
 だからといって、それが理由で死にたくはないのだ。
 映画の登場人物だろうがなんだろうが。
 彼は今、ここで、生きている。
 生命の定義づけなどどうでもいい。
 今、自分がここで思考しているという事実は、誰にも覆せないのだ。
「……やられて、たまるか」
 それだけに、一度拾った命を失うことは、恐ろしかった。
 あの、自分は死んだ、と思った瞬間に魂の奥底まで染み入った恐怖と絶望、そんなものを、二度も三度も味わいたくはなかった。
「絶対に……生きて、やる」
 呟き、額にじっとりと滲んだ汗を拭う。
 気づくと、咽喉がからからに渇いていた。
「どんな手を、使ってでも、絶対に」
 ぐびり。
 咽喉が奇妙な音を立てた。
 青い双眸が、白い男を睨み据える。

 ――男は、この先に起きる惨劇など予想もしない様子で、けたたましく明るい笑い声を響かせていた。



 1.惨劇−幕開け

 明朗なチャイムの音が、私立綺羅星学園を満たしていた。
 時計は午後五時を指している。
 今日も、賑やかで楽しい一日だった、と、その日の出来事を反芻しながら帰途につこうとしていたゆきは、
「ハッアーイ、ゆきクン! キミも帰るとこなのカイ? ボクもなんダ、近くまで一緒にドウ?」
 背後から響いた、けたたましいくらい底抜けに明るい声に微笑んで立ち止まり、頷いた。
「もちろんじゃとも、CT先生」
 ゆきの視線の先には、一体何に使ったのか、それともこれから使うつもりでいるのか、異様にリアルな人体模型(しかも何故か赤いペンキでべったりと塗装されている)を腕に抱えたクレイジー・ティーチャーが、ホラーが苦手な人間の膀胱なら一発KO間違いなし、という満面の笑顔を浮かべている。
 彼の周囲には、青白い人魂たちがふよふよと浮かんでいて、なんだか楽しそうにクレイジー・ティーチャーのまわりを回っていた。
 すでにすっかり綺羅星学園に馴染んでしまっているが、クレイジー・ティーチャーはばりばりのスプラッタ・ホラー映画から実体化したムービースターだ。リアルすぎる人体模型を抱えた様などは、似合っている、と表現するしかない。
 しかし、ゆきにとって彼はよき友人でありよき教師でしかなく、
「CT先生は今日も楽しそうじゃの」
 彼と一緒に帰れることが嬉しくて、ゆきはにこにこと笑った。
「もちろんダヨ、毎日楽しくなくっチャ、生きてル意味がないジャン? ってボクもう死んでるケドネ!」
 などと言いつつ、小走りに近付いて隣に並んだクレイジー・ティーチャー(血まみれの人体模型を肩に担いでいるのでホラー以外のなにものでもない)とともに歩き出しながら、ゆきは他愛ない会話に花を咲かせた。
「先生は、いつもこのくらいに帰るのかの?」
「ウン、そうだネ、大体このくらいダヨ。今日はユックリなんだネ、ゆきクン。小等部はモット早く終わるんじゃナイのカイ?」
「ああ、わしは、今日はクラス当番だったんじゃよ。当番の皆と一緒に、クラスで飼っているメダカの水槽を掃除していたんじゃ」
「ナルホド、そうなンダ、お疲れ様、ゆきクン」
「CT先生こそお疲れ様なんじゃよ」
「ダァーイジョウブ、ボクもう死んでるカラ、疲れるトカそういうノとは無縁だしネ! でも心配してもらえるのは嬉しイナ、ドウモありがトウ!」
 上機嫌の狂気先生とともに歩くこと、そこから三十数分間。
 大規模な実験に失敗して危うく周囲を火の海にするところだったとか、今日も食堂のおばちゃんに大敗したとか、親切な同僚の先生が美味しいケーキを差し入れてくれたとか、クレイジー・ティーチャーの非日常的日常に耳を傾けながら、ゆきもまた、クラスで流行っている遊びや、仲のいい友人の話、もうじき遠足があること、授業で描いた絵を褒められて嬉しかったことなどを次々と話した。
 殺人鬼で狂人だが生徒という存在に対しては驚くほど真摯で懸命な狂気先生は、ゆきの話を、にこにこ笑いながら、時折相槌を打ちながら真面目に――とは、少々ニュアンスは違うかもしれないが――聞いてくれる。
 ゆきはクレイジー・ティーチャーがとても好きだから、それは楽しい、幸せなひとときだった。
 お陰で、あっという間に時間は過ぎ、
「じゃあ、ここでさよならなんじゃよ。わしはこっちじゃから」
「ウン、じゃあ、また明日ネ、ゆきクン。気をつけて帰るんダヨ?」
 分かれ道に辿り着いたゆきとクレイジー・ティーチャーは、笑顔で挨拶を交わすと、それぞれの家に向かって歩き始めた。
 時刻は、あと少しで午後六時になる、といった頃だろう。
 まちは徐々に夕闇に包まれてゆくものの、姿かたちこそ小さいが、実際には長い長い時間を生きているゆきにとって――そして妖怪であるゆきにとって――、暗がり、暗闇は恐怖の対象ではなく、彼女は普段通りに道を歩いていた。
 そこへ声をかけてきたのは、
「すまない……そこの君」
 金髪に青い目をした、背の高い壮年の男だった。
 ゆきは立ち止まり、男を見上げる。
「どうかしたかの?」
 穏やかな微笑をたたえた、五十代前後と思しき男だった。
「君は、綺羅星学園の生徒さん?」
「うむ、そうじゃよ」
「よかった、じゃあ、ひとつ、尋ねたいんだけどね」
「うむ、わしに答えられることなら」
「綺羅星学園に白髪の教師はいるかい?」
「白髪? CT先生のことかの?」
 首を傾げてゆきが言うと、男はにっこりと笑って、
「――君は彼の生徒?」
 更にそう重ねて問うた。
 ゆきは頷く。
「学部は違うがの。確かにわしはCT先生の生徒――……」
 その言葉がすべて紡がれることはなかった。
 男の笑みが妙にどす黒く見える、そう思った瞬間、ゆきの首筋を衝撃が襲い、そこで彼女の意識は途切れた。
 どさり、と、彼女が手にしていた鞄が地面に転がる。
「――エサ、確保」
 ぐったりとしたゆきの身体を抱き上げて、男は、嗤った。

 * * * * *

 一瞬、何が起きたのか判らなかった。
 ゆきと別れて三十分ほど経った辺りだったと思う。
 唐突に目の前に現れた男を、クレイジー・ティーチャーはまじまじと見つめ、
「テ、メェ、は……ッ!!」
 次の瞬間には、許されるなら今すぐにでも咽喉笛を食い破ってやりたいとでも言うような、激しい憎悪と怨嗟と狂気のこもった目で睨みつけた。
 だが、普通ならば、敵とあらば瞬時に襲いかかり血の海に沈めているはずのクレイジー・ティーチャーが身動きを封じられたのは、
「……動くなよ。ちょっとでも動いたら、こいつの命は保障できないからな」
 男の腕に抱えられている、小さな少女の姿が目に飛び込んできたからだった。
 少女、ゆきには意識がないらしく、小さな身体はぐったりと力を失って、ぴくりとも身動きをしなかった。浅く上下する胸と、時折瞼がかすかに動くことだけが、ゆきの生存を告げている。
 男は、ゆきの華奢な首筋に、ぎらぎら光るナイフを押し当てていた。
 下手に自分が動けば、ゆきが傷ついてしまう。
 生徒を絶対として位置づけるクレイジー・ティーチャーには、それだけは出来ないのだった。
 男が何者であるかを知って怖じたのか、それともゆきの危機に焦ってか、クレイジー・ティーチャーの周囲で、人魂たちがぎくしゃくした動きをする。クレイジー・ティーチャーには、彼らが、驚愕し動揺し不安を抱いていることがダイレクトに伝わってきた。
「その子ヲ、放せ。ゆきクンはボクの生徒ダ、お前ナンカが触れてイイ子じゃ、ナイ」
 ぎりぎりと歯噛みし、火を噴きそうな眼差しで睨むクレイジー・ティーチャーに、男はにやり、と下卑た笑みを浮かべた。
「こいつを助けたければ」
 言葉が落とされる。
 男は踵を返しかけていた。
「明日の夜八時に、ここに来い」
 はらり、と落とされる、紙切れ。
 クレイジー・ティーチャーは紙切れを拾い上げ、位置を確認してから、ぐしゃりとそれを握りつぶした。
「……ゆきクンに傷ひとつつけてみロ、絶対に許さねェカラな。どこまでも追いかケテ、テメェを粉微塵に砕いてヤル」
 その言葉に、強い殺気、激しい憎悪に、男は一瞬怯んだようにも見えたが、ややあって再度狡猾な笑みを浮かべると、
「そうかい……精々、用心するさ」
 それだけ言うと、身動き出来ないクレイジー・ティーチャーと人魂たちを残し、あっという間に姿を消してしまった。
 あとに残された狂気先生は、なすすべもなく生徒を奪われたことを歯噛みしながらも、ゆきを絶対に助けるという強い強い理念――それは彼にとって生存本能にも等しい――と、男への激しい復讐心に身を焦がし、男の消えた薄暗闇を睨み続けていた。
 男が何故現れたのかとか、何故ゆきを人質に取ったのかとか、そういう理由などはどうでもいいのだ。クレイジー・ティーチャーにとっては、男を殺してゆきを助ける、それだけのことなのだから。
「絶対に許さナイ……ボクと、ボクの愛する生徒タチを殺した男。ゆきクンを酷い目に遭わセた男」
 ぼそり、と、怨嗟の声が漏れる。
「フレイド・ギーナ……!」
 地獄の底から響くかのようなそれを、夜の静寂だけが聴いていた。



 2.災禍−因縁発覚

 ゆきが意識を取り戻したとき、目の前にあったのは長身の男の背中だった。
「ここ、は……」
 周囲を見渡すと、薄暗い、薄汚れた倉庫の中だということが判る。
 様々ながらくたが積み重なっていたが、全体的に広いので、窮屈という印象は受けなかった。
 妙に腕が痛くて、身じろぎをしようとしたが果たせず、訝しく思って見下ろしてみると、ゆきの身体は、太い鉄骨で出来た柱に、細いロープでぐるぐる巻きに縛り付けられていた。
「一体、何が、」
 意識が混乱しているようで、何故自分がこの状況に陥っているのかが判らず、眉根を寄せて懸命に記憶を探るゆきの目の前で、
「ん、ああ、起きたのか」
 何でもない様子で言いながら、男がこちらを振り向いた。
 金髪に青い目、背の高い、五十を少し過ぎたか過ぎないか、といった年頃のその男は、
「おぬしは……」
「ああ、悪いな、お前にはエサになってもらう」
 呆然と……何故、という疑問符を浮かべて自分を見上げるゆきに、悪びれもせずにそう言った。
 先刻会ったときの、穏やかでやわらかい雰囲気や口調は、今のこの場には微塵もない。
「エ、サ……?」
 意味が判らずに反芻すると、男はにやりと笑ってゆきの前にしゃがみ込んだ。
「そう、エサだ。あの殺人鬼を誘き寄せて殺すための、な」
「殺人鬼……まさか、それは」
「本名じゃあないが、クレイジー・ティーチャーと言えば判りやすいか? 俺は、あいつを殺すためにここにいるんだ」
「な、何故じゃ」
「何故、だァ? お前、あいつが何だか知ってるだろう? あのご面相で、勧善懲悪映画のヒーローだなんて誰も思いはしないだろうしな?」
「い、いや、それは……じゃが、しかし、」
 クレイジー・ティーチャーが、スプラッタ・ホラー映画の出身だということは知っている。過激な言動は、映画の中でも外でも特に変わってはいない、ということも知っている。
 しかしゆきは、彼の出身世界である映画を見てはいないのだ。
 彼女にとって大切なのは、今のクレイジー・ティーチャーであって、映画の中の彼ではないのだから。
「あァ……そうだ、申し遅れたが、俺はフレイド・ギーナという」
「――ふれいど」
「そうだ」
「おぬしは……一体」
 フレイド・ギーナと名乗った男の手の中に、大きなナイフがあることを知って、ゆきは思わず息を呑んだ。
 クレイジー・ティーチャーは不死身だ。
 不死身のはずだ。
 それなのに、何故、こんなにも、震えが止まらないのだろう。
「俺か?」
 懸命に悪寒と戦いながら問うゆきに、フレイドは凶悪な笑みを浮かべてみせた。
「俺はあいつと同じ映画から実体化したのさ。――あいつに殺される寸前で、な」
「そ、」
「まァ……その前に、あいつを一度殺したのは俺だったんだが」
「な、」
「だがな、あいつは、あいつの巣に忍び込んだってだけの、何の罪もないティーンエンジャーたちを皆殺しにしたんだぜ?」
「え、」
「まさしく粉々、さ。あんな残酷な殺し方はそうざらにはないだろうな」
 フレイドはそこで言葉を切り、面白そうにゆきを見下ろした。
 ゆきの思考は、大好きな、信頼するCT先生の過去を、悪鬼の如き所業を聞かされてパンク寸前だった。
 クレイジー・ティーチャーが殺したのだという、ゆきと同じような少年少女を。
 そして、目の前で薄笑いを浮かべる男を殺そうとしたのだという。
「そん、な……」
 ――もちろん、クレイジー・ティーチャーの役どころが殺人鬼だということは知っているし、彼の、底抜けに明るい日々の言動に混じる、無邪気で純粋な狂気にもまた気づいていた。
「あいつは俺を殺しに来るだろう。俺は非力だ、あんな化け物に敵うはずがない。――だがな、黙って殺されてやる気はないんだ。どんな手を使ってでもあいつを殺して、自由になってやる」
 フレイドの青い目が、鬼火のような怪しい光を放つ。
 ――彼は、クレイジー・ティーチャーを殺すつもりなのだ。
 狂気に満ちた殺人鬼である彼を。
 しかし、ゆきにとっては、クレイジー・ティーチャーはクレイジー・ティーチャーであって、それ以外のなにものでもないのだ。
 CT先生、と呼んで手を振り、笑顔で走り寄るときのあの慕わしさ以外に必要なものなどないのだ。
 自分の置かれた状況と、フレイドの物言い、そしてクレイジー・ティーチャーの気性及び性質を考えれば、フレイドがゆきを人質にクレイジー・ティーチャーをここへ来させようとしているのだということは明白で、ゆきは不安と緊張と衝撃で何も言えなくなり、必死で呼吸を整えながらフレイドを見上げることしか出来なかった。
「心配すんな、おちびさん。全部終わったら、お前のことは無事に帰してやる。お前は俺に自由を与えてくれる鍵だからな、そのくらいの敬意は表しよう」
 フレイドが憐れみの表情とともに言い、ゆきが敬意なんて表しなくてもいいから殺しあうなんてやめてくれと懇願するよりも早く、遠くの方から重々しい物音が聞こえてきた。
 フレイドの表情がすっと変わる。
 ゆきと言葉を交わしていたときはまだ人間臭さもあったのに、今の彼は心の凍った死刑執行人だ。
「さあ……じゃあ、しばらく、いい子で大人しくしているんだ」
 冷ややかに言ったフレイドが、ガムテープでゆきの口を塞ぐ。
 そして立ち上がり、こちらへ近付いてくる白い影を、怨嗟と憎悪を込めて睨みつけた。
 彼の視線の先にいるのは――怒れる殺人鬼理科教師。
 殺人鬼が手にしているのは、巨大なチェーン・ソウだった。
 爛々と輝く目が、殺意に染められているのを見て取って、ゆきは双方の男に、争いごとはやめてくれと叫んだが、それは嫌な匂いのするガムテープによってさえぎられ、音として発せられることはなかった。
「サア」
 ぎょりぎょりぎょり、と、チェーン・ソウが凶悪な音色で鳴いた。
 クレイジー・ティーチャーの凶顔は、鬼気迫ると表現するのが相応しい形相と化している。
「……殺し合おウカ、My Enemy?」
 どろどろと溢れ出す殺意に、ゆきの背筋を冷たいものが滑り落ちる。
 しかしそれが、
「ああ……もちろんだ」
 非常識極まりない身体能力を持つクレイジー・ティーチャーの一撃で、フレイドがなすすべもなく鏖殺される未来を予測してのものだったのかどうかは、ゆきには判らない。
 ――何故なら。



 3.惨状−絶対真理

「ゆきクンを放せ」
 殺人鬼理科教師は、銀幕市にいようが故郷にいようが、殺人鬼だけにすでにすっかり狂っていて、ヒトを殺すことになど何の躊躇いも感慨も抱きはしないが、それがこと生徒になると話は別だ。
 クレイジー・ティーチャーは、彼が彼である限り、ゆきを救い、守らなくてはならない。彼の幾分歪み曲がった、しかし純粋さ真摯さにおいては本物の、庇護対象への愛情は、クレイジー・ティーチャーをクレイジー・ティーチャーたらしめるアイデンティティそのものだ。
 ゆきを守ることと、殺戮者たる金髪の男を殺すことは、クレイジー・ティーチャーにとっては同義なのだ。
「ボクは来たぞ、ゆきクンを自由にシロ。あとは、ボクたちが殺し合うダケのことダロウ?」
 クレイジー・ティーチャーが言うと、金髪の男、かつては同僚だったフレイド・ギーナは、にやり、と笑って肩をすくめた。
「心配しなくても、テメェが死んだら解放してやるよ。最後の餞(はなむけ)ってヤツだ」
「……」
 フレイドの言葉に、クレイジー・ティーチャーの奥歯がぎしりと鳴る。
「ソウか、ナラ」
 ぎょぎょぎょ、ぎゃりぎゃりぎゃり。
 クレイジー・ティーチャーの手の中で、チェーン・ソウが不吉に唸った。
 フレイドの向こう側で、無骨な鉄の柱に縛り付けられた少女が、泣き出しそうな表情で、目を見開いてこちらを見ている。懸命に何かを言おうとしている様子だったが、彼女の口を塞ぐガムテープが、無情にもゆきから言葉を奪ってしまっているのだった。
 ゆきを見つめ、
「……問題なイネ、テメェを殺してゆきクンを助ける、ソレダケだ」
 そう言ったクレイジー・ティーチャーが、身構えるとか力を溜めるといった一切のモーションなしに、フレイドへ飛び掛ったのは次の瞬間だった。
「ぐ、」
 それはまるで発条(バネ)そのもののような跳躍。
 クレイジー・ティーチャーからフレイドまでは十メートルほどの距離があったが、そんなものは髪の毛一本の差異に過ぎず、その凄まじい身体能力を目にして映画の中でのクレイジー・ティーチャーを思い出したのか、フレイドの顔が恐怖に歪んだ。
 ――瞬時に、クレイジー・ティーチャーは、フレイドの背後に回り込んでいた。
「死ネよ、Foolish Guy」
 獣のごとくに唸るチェーン・ソウ。
 恐ろしい勢いで揮われたそれは、フレイド・ギーナの胴を横薙ぎにし、彼の身体を上半身と下半身に断ち切るかと思われた。
 しかし。
「そう来ると……思ったぜ」
 ある程度は予測していたのだろう、フレイドは間一髪のところでその無骨で不細工な刃を避け、勢い余って体勢を崩したクレイジー・ティーチャーから数歩分の距離を取った。
 その手にはいつの間にか拳銃がある。
 瞬時に次の攻撃に移ろうとしたクレイジー・ティーチャーを見遣り、フレイドはにやり、と、笑った。
「ムービースターってのァ、便利な存在だよな」
 戯言を、とクレイジー・ティーチャーが攻撃を仕掛けるよりも早く、フレイドが『何か』を溜める動作をした。彼の身体に力が入ったのが見えたのだ。
「リオネっつったか……あの神さまには、感謝しなくちゃな?」
 ちりり。
 何かが疼いた……ような気がして、クレイジー・ティーチャーは思わず眉根を寄せた。狂った殺人鬼にすら異様な感覚を与える何かが、起ころうとしているのだ。
「俺みたいな凡人にも、こんなすごい能力を与えてくれるんだから、な」
 そして、それが発動される。

 ご、おぉ、ごおおぉうううう。

 空間が断末魔の如き悲鳴を上げた、そう思った次の瞬間、薄汚れた倉庫は、血と夕暮れで赤く染まった教室へと変貌を遂げていた。
「これ、ハ……、まさカ……」
 The Twenty Years Ago.
 それは、呪われた、あの日そのものの光景。
 さすがのクレイジー・ティーチャーも瞠目し、動きを止めざるを得なかった。
 彼はとっくの昔に狂ってはいたけれど、ここはクレイジー・ティーチャーにとっての原風景とでもいうべき空間だ。狂った脳味噌、狂った思考にすら停止を強いるほど、激烈な印象によって占められている。
 衝撃的な映像を突きつけられたからなのか、先ほどまで羽根のように軽々と操れていたチェーン・ソウがあまりにも重く感じられ、思わず取り落としてしまう。
 がららん、ぎょる、と、耳障りな音を立ててチェーン・ソウは停止する。
 妙に、身体が重い。
 まるで自分の身体じゃナイみたいダ、などと思いながら見上げれば、先刻まで壮年から初老の風貌をしていたフレイドは、三十路前後の――そう、クレイジー・ティーチャーや彼の生徒たちが殺されたときとまったく同じ――姿へと変貌していた。
 フレイドは、片手に拳銃、片手に刃の分厚いサバイバル・ナイフを持って、にやにやと笑いながらクレイジー・ティーチャーを見ていた。
 それは、死んで行く子どもたちの傍らで、死に瀕した身体を引き摺って吼えた、あの時のクレイジー・ティーチャーを前にして見せた嘲笑と同じ色彩の笑みだった。
 どす黒い、激烈な怒りが込み上げる。
「テ、メェ……!」
 ぎしぎしと歯を噛み締め、首から下げた金槌を握り締めてフレイドに飛びかかろうとしたクレイジー・ティーチャーだったが、何故か、身体が重たいうえに脚がもつれて、飛びかかるどころか巧く走ることすら出来ず、無様にその場で転倒した。
 くくく、とフレイドが嗤った。
 クレイジー・ティーチャーは、何度も同じことを試そうとして転倒し、
「ナ、ンだ、コレ……!?」
 ようやく何かがおかしいことに気づいた。
 何をした、と問うよりも早く、鋭い銃声が響き、
「ぐっ……が……!?」
 肩に物凄い衝撃を受けた、そう思った次の瞬間には、クレイジー・ティーチャーは吹っ飛ばされて教室の壁に叩きつけられていた。
 見遣れば、フレイドの手の中の拳銃、リボルバー式のそれが、銃口から白い硝煙を漂わせている。
 フレイドに撃たれたのは確かだったが、目も眩むような感覚が肩と背骨を中心に広がり、不死身の殺人鬼が、肩に弾丸を一発喰らった程度で、と、身動きもままならない奇妙な状況にもがいていると、フレイドがまた咽喉の奥で笑った。
 そしてまた、銃口をクレイジー・ティーチャーに向けて引鉄を引く。
 轟音とともに、右の膝に穴が空いた。
 何とか起き上がろうとしていたところへ関節を砕かれ、クレイジー・ティーチャーはまたしても無様に転倒し、誰のものかも判らない血にまみれた床を転がる。
 ――それを痛みと呼ぶのだと、意識はようやく認識しつつあった。
 死した肉体でもって大暴れを続けていた彼は、すでに、人間としての感覚をいくつもなくしていたから、それは実に数十年ぶりに味わう、純粋にして激烈なる痛みだった。
 彼は痛みを与える側であって与えられる側ではなく、よって苦痛に慣れてはおらず、脳味噌がちかちかと明滅するような感覚を味わう。
「テメ、ェ、なに、ヲ……!」
 掠れる声で言いかけたら、今度は、弾丸に左手の甲を抉られ、次に鎖骨付近を貫通された。
 声もなく床を転がるクレイジー・ティーチャーの、無防備すぎる脇腹を、フレイドの硬い靴の爪先が激しい勢いで蹴りつける。
 めり、という嫌な音がした。
 息が詰まり――彼は死して蘇った殺人鬼であるはずだったが、今の自分が呼吸をしているのかしていないのか、己の肉体がどうなっているのかさえも、そのときのクレイジー・ティーチャーには判らなかった――、呻いて、何とか体勢を整えようとしたクレイジー・ティーチャーは、フレイドの爪先に右頬辺りを蹴りつけられて吹っ飛んだ。
 顎が砕けたのか、げぼげぼと嫌な音の咳をして口の中のものを吐き出したら、血と一緒に歯が出てきた。
 それを見て、フレイドがにやにやと嗤う。
「ロケーションエリア、って言うんだってなァ?」
 ――フレイドのその言葉に、
「色々試してみたが……俺の場合は、てめぇみたいな化け物を、五歳児並の無力な存在に変えちまう、って能力らしいな」
 ようやく、合点が行った。
 クレイジー・ティーチャーの、非常識な身体能力は、今、フレイドのロケーションエリアによって封じられてしまっているのだ。
「あァ、そうそう、てめぇのロケーションエリアを重ねて展開する、ってのも無理みたいだぜ。なんとも便利な力を与えてくださったじゃないか、夢の神さまってのは」
 にやにやと嗤ったフレイドが、ちらりと壁の時計を見遣った。
 時刻は、午後五時五十二分を指している。
「あと八分……か」
 不可解なことをつぶやいたあと、フレイドは、拳銃のグリップでクレイジー・ティーチャーの後頭部を殴りつけた。ごりっ、という鈍い音がして、あまりの衝撃に、目の前を星が飛んだ。
 自身のロケーションエリアを展開してフレイドのそれを相殺しようという目論見は、フレイドの言うとおり不可能で、他に打つ手を持たないクレイジー・ティーチャーは徐々に壁際へと追い詰められてゆく。
 フレイドの背後で、ゆきが狂ったように身を捩り、もがいているのが見えた。
 鉄骨ではなく教卓に縛り付けられた彼女の頬を、涙が幾筋も伝っている。
 心配しなくていいと笑ってやりたかったが、そんな余裕はなかった。
 ――今の自分の感覚が、驚くほど人間に近づいていることに、クレイジー・ティーチャーは驚いていた。
 あらゆる苦痛と恐怖を与える側だった自分が、今はまったく逆の方向に回っているという滑稽さを思いながら、
「が、はッ」
 咳き込み、無様に床を転がり、追い詰められながら、全身を生温かい血に濡らし、手酷いダメージを被りながら、しかしクレイジー・ティーチャーはフレイドを睨み続けていた。
 生徒の身の安全という絶対的なものがかかっている以上――自分が死ねば解放してやる、などというフレイドの言は、信じる信じない以前の戯言だ――、クレイジー・ティーチャーが戦いを放棄し、諦めるなどということはあり得ない。
 彼の眼差しが孕むものはただひとつ、フレイドを亡き者にするという激しい殺意だけだった。
「……ッ」
 憎しみや怒り、狂気を未だ失わずぎらぎらと輝く赤眼に、フレイドが明らかに怯んだ。それは恐らく、クレイジー・ティーチャーを敵に回した人間のすべてが感じる恐怖であり、絶望でもあっただろう。
 同映画の出身者にとって、クレイジー・ティーチャーとは、容赦なき狂気、死の代名詞なのだから。
「ち……くたばり損ないが」
 吐き捨てたフレイドが、また、ちらりと壁の時計を見た。
 時刻は、午後五時五十八分を指している。
「遊んでる場合じゃァ、なかったな」
 言って、フレイドが拳銃に弾を込め、グリップを握り直すと、銃口をクレイジー・ティーチャーの頭に向けた。
 恐らく、今あれに脳天をブチ抜かれれば死ぬ。
 奇妙な確信があった。
 フレイドのロケーションエリアとは、そういうものなのだ。
「じゃあな、化け物」
 憐れむような物言いとともに、引鉄に指がかかった。
 教卓に縛り付けられたゆきが、大きく目を見開き、また、狂ったように激しくもがいた。
 彼女は必死に何かを叫んでいるようだったが、やはりそれは、音としてなることはなかく、そして、フレイドの指が引鉄を、引く――……

 そう思われた、瞬間。

 唐突に、フレイドの眼前へ、幾つもの人魂が躍り上がり、彼の顔を包み込むようにして激しく燃え盛った。
 もちろん彼の可愛い生徒たちは魂だけの存在だ、物理的な攻撃力は持ち合わせてはいないが、しかし、
「うわッ、こ、この……ッ!」
 その行動は、目くらましとしては有効だったらしかった。
 青白い鬼火に視界をさえぎられ、フレイドが狼狽した声を上げる。
 腕を振り回して生徒たちを振り払おうとするフレイドだったが、人魂たちもまた必死なようで、それはなかなか巧くは行かず、彼は青白い炎とともに、しばし奇妙なダンスを続けていた。
「マイク、ジェニファー、クレア、ジャック、アン……」
 クレイジー・ティーチャーは、自分を救うべく決死の突撃に出た生徒たちをひとりひとり呼んで、よろよろと立ち上がった。
 肉体のダメージは深刻で、このまま放っておかれれば命に関わる程度には深かったが、クレイジー・ティーチャーの殺意や戦意は萎えてはいなかった。
 五歳児並の力しかないという事実など、何だというのだ。
 我が身を惜しみ、無力な己を嘆く殺人鬼など、クレイジー・ティーチャーではないのだ。
「テメェを殺してゆきクンを助けル、それダケだ」
 絶対の真理をつぶやくと、クレイジー・ティーチャーは、激しい痛みを訴える、鉛のように重い身体を引き摺り、取りこぼしたままだった金槌を拾い上げる。
 それはずっしりと重く、手にするだけでクレイジー・ティーチャーの身体は傾いたが、
「金槌を握れないボクが、ボクを名乗れルカ?」
 彼は、ただ矜持のみでその鉄塊を握り締め、持ち上げ、身構えた。
 そして、必死に鬼火を振り払おうと右往左往しているフレイドを睨みつける。
「サア……もう一度、殺し合オウ、My Enemy」
 死刑宣告さながらに重々しく告げたクレイジー・ティーチャーが、確かめるように一歩踏み出した、その時だった。
 ――カチリ。
 時計の針が、午後六時ちょうどを指した。
 それと同時に、彼らを、あの、奇妙に不吉な感覚が取り囲んだ。

 ざ、お、おおおおぉおぉううううぅうぅッ。

 どう、とも表現し難い、身体の中身がふわりと浮かぶような感覚。
 何かが通り過ぎて行ったような颶風と、わずかな震動、それが収まったとき、周囲は、あの薄汚れた倉庫へと姿を変えていた。
「しまッ……」
 生徒たちにたかられたまま、フレイドが蒼白になる。
 その姿も、もう、五十代前後の壮年のものに戻っていた。
 完璧にして絶対なる空間であるかと思われたフレイドのロケーションエリア。
 それは、異能であるがゆえか、通常の三分の一、十分間しか展開出来ないのだった。
「フゥン……」
 クレイジー・ティーチャーは、小さく首を傾げた。
「なるホド、ネェ」
 ひょいと放り投げた金槌は、くるくると宙を舞った後、見事な正確さで再度彼の手の中に収まった。
「何デそんなコトが起きるのかハ知らないケド」
 くるくるくる。
 手の中で金槌を弄びながら、クレイジー・ティーチャーは笑う。
 無論その笑みが、真実笑ってはいないことを、誰よりも理解しているのがフレイドだったはずだ。
「フザけタことをしてくれたモンだヨネェ」
 血は止まっていた。
 痛みはすでになく、体調は万全だ。
 傷は、なんの悪影響もクレイジー・ティーチャーにもたらさず、むしろ、彼をエキサイトさせ楽しませるスパイスとなっていた。
「ヒッ」
 フレイドが、凄絶な恐怖に満ちた眼差しをクレイジー・ティーチャーに向ける。
 それを目にして、クレイジー・ティーチャーは、ニイィ、と、悪鬼そのものの笑みを浮かべてみせた。
「ジャア……始めようカ」
 それが何を意味するのか、理解出来ないフレイドでは、なかっただろう。



 4.凄惨−狂人倫理

「う、うわああああああああッ!」
 フレイドは絶叫した。
 絶叫しながら、拳銃の引鉄を引いていた。
 腹に響く銃声の後、彼の撃った弾はすべて、一直線に突っ込んで来るクレイジー・ティーチャーの身体の中にめり込んだが、すっかり本来の力を取り戻した殺人鬼は怯むどころか立ち止まることすらせず、瞬時にフレイドの懐へと潜り込んでいた。
「あ、あ、あ、」
 間近に迫った凶顔は、禍々しい笑みのかたちを刻んでいた。
 冷たい恐怖が背筋を這い上がる。
「このオトシマエはつけてモラウ」
 耳まで裂けて半端に縫合された口がそんな物々しい言葉を吐き、
「……って、コノ国のマフィアたちは言うんダヨネ。ああ、マフィアじゃなクテ、ヤクザ、ッテ言うんだッケ」
 すぐにあっけらかんと明るい声が注釈を入れる。
 その明るい声が、
「マ、どっちデモ関係ないよネ、テメェはいまスグに死ぬんだカラ」
 明るいままで、殺意に満ちた言葉となってフレイドの心臓を鷲掴みにする。
「……ッ!!」
 凄まじい悪寒を感じて咄嗟に身を退いたのは、本当に偶然の、反射的な出来事で、僥倖というしかなかった。
 ぶうん、という鈍い音が聞こえた、そう思ったときには、金槌の端っこがフレイドの顎を捉えていた。――身を引いていなかったら、間違いなく顔面がなくなっていただろう。
「ぎ……ッ!」
 しかし、顎を掠っただけとはいえ、クレイジー・ティーチャーの膂力によって、であるから、ダメージは決して小さくはなかった。
 凄まじい衝撃が顎から脳天までを貫き、フレイドは声もなく吹っ飛ぶ。
 壁に激突し、強かに頭を打ったフレイドは、手にしていた拳銃を取り落として呻いた。
 顎を一撃されたこともあるのだろう、視界がぐらぐらと揺れて吐きそうだ。
 起き上がることも出来ず、背中を壁に預けて座り込むしかない。
「ボクの生徒タチに手を出したコトを、後悔しなガラ死ぬとイイ」
 フレイドの恐怖を煽るように、殊更ゆっくりとした足取りでクレイジー・ティーチャーが近付いてくる。
 手の中の金槌、無慈悲な鈍い光を放つ鉄塊に、死の直前を垣間見た瞬間の恐怖が込み上げて、
「く、来るな、来るな――――ッ!!」
 腰が抜けて立ち上がれず、フレイドはみっともなく裏返った声で絶叫しながら、必死で拳銃を拾い上げ、再度引鉄を引いたが、出た弾は一発のみ、しかもそれはクレイジー・ティーチャーに掠りもせずにまったく別の方向へ飛んでいった。
「あぁ、あ、ああああああああああああああ」
 形勢逆転。
 残弾数ゼロの拳銃が、フレイドの手からぽろりと零れ落ち、カシャン、という音を立てる。
 完全に追い詰められ、
「ううう、うう、うううううううううう」
 もはや、呻きなのか慟哭なのかも判然としない声を漏らすのみのフレイドの前に、ついにクレイジー・ティーチャーが立ちはだかる。
「マッタク……こんなチャチなモノでダメージを喰らッタかと思ウト腹が立つヨ」
 うっすらと埃の積もった床から、拳銃を忌々しげに拾い上げたクレイジー・ティーチャーが、
「バイバーイ」
 黒光りするそれを、握り潰す。
 めきめきという音とともに銃身の折れ曲がってゆくそれを、フレイドは呆然と見上げていた。
「サテ、じゃア」
 もともとのかたちがどんなだったのかさえ判らないほど丸まった拳銃を、もはや興味を失った様子で床へと投げ捨て、クレイジー・ティーチャーがフレイドへ迫る。
 殺人鬼の手の中で、金槌がぎらりと光った。
 裂けた口が、無慈悲で凶悪な笑みをかたちづくる。
 完全に恐怖と絶望に呑まれたフレイドはもう、ただガチガチと歯を鳴らすのみで、身動きひとつ出来なかった。死にたくない、助かりたいという思いだけが、彼を満たしていた。
「オヤスミナサイの挨拶は、要らナイよネ?」
 金槌が振り上げられる。
 悪夢の瞬間の再現に思考が真っ白になり、フレイドは床にへたり込んだまま、殺さないでくれと胸中に絶叫していた。
 しかしそれが狂った殺人鬼に通じるはずもなく、フレイドの頭めがけて振り下ろされ――……
「待ってくれ、やめるんじゃCT先生っ!」
 ようとした金槌は、切羽詰った幼い少女の声が響くと同時に、ぴたりと停止した。
「……ゆきクン」
 金槌を下ろしたクレイジー・ティーチャーが振り向く。
 その先には、先刻フレイドが人質に捕らえていた少女の姿があった。
「や……やめてくれ、お願いじゃ、CT先生。どうか、殺さないでくれ」
 少女は泣いていた。
 泣きながら、クレイジー・ティーチャーの白衣に取りすがった。
 フレイドは、それを、呆然と見つめていた。



 5.清廉−小幸福神

 ゆきが自由を取り戻したのは、フレイドが最後に放った弾丸のお陰だった。
 普通なら壁にめり込んで止まっただろうそれは、幸運にも――何故ならゆきはそういうものを身に帯びる小さき神なのだ――金属の板に当たって跳ね返り、ゆきを縛り付けていた縄を切断してくれた。
 クレイジー・ティーチャーが誰かを殺すのも、フレイドが死ぬのも嫌だ、と、ゆきは、複雑に絡まった縄を必死で解き、ふたりのもとへ走ったのだ。
「ゆきクン? どうしたンダい?」
 白衣にしがみついて泣くゆきを、クレイジー・ティーチャーは心底不思議そうに見下ろし、
「アア、そうか、コイツが怖くて泣いてルンだネ。ごめんゴメン、さっさと始末すルヨ」
 やおら、フレイドに向かって金槌を振り上げようとした。
 短く悲鳴を上げたフレイドが、壁際に縮こまり、頭を抱える。
 怯えきったその姿に、
「違う、違うんじゃCT先生!」
 ゆきは激しくかぶりを振り、クレイジー・ティーチャーを押し留めようと、その、誰のものかも判らない血に汚れた白衣にしがみつき、必死に彼を呼んだ。
「ンン?」
 ゆきの叫びにクレイジー・ティーチャーが金槌を下ろす。
 クレイジー・ティーチャーにとって、第一の、絶対の真理は、生徒という存在のもとにあるのだ。
 ゆきの言葉は、必ず彼に届く。
 それを理解しているからこそ、ゆきは必死に言葉を重ねる。
「お願いじゃ、CT先生。その人を、どうか殺さないであげておくれ」
「へ? 何デ? ダッテ、こいつは、ボクとボクの可愛い生徒タチを殺して、ゆきクンをさらったンダよ? キミを危険な目に遭わセタんだ。それを殺シテ何が悪いンダイ?」
「確かに彼がしたのは悪いことかも知れぬ。償わねばならぬのやもしれぬ。じゃが、わしは嫌なんじゃ、CT先生!」
「うーん、何がソンナに嫌なの、ゆきクン?」
「先生が人を殺すことも、その人が死んでしまうことも、わしは嫌なんじゃ、見たくないんじゃ!」
「デモネ、ゆきクン」
 殺人鬼という、生命を貴ぶ行為からは遠い存在であるがゆえに、恐らく、クレイジー・ティーチャーには、ゆきが何故フレイドをも救おうと必死になるのかは判らないのだろう。
 聞き分けのない生徒に言い聞かせるような口調で言いかけたクレイジー・ティーチャーは、
「お願いじゃ、助けてやってくれ、許してやってくれ。お願いじゃ、CT先生……!」
 ぽろぽろと大粒の涙をこぼしたゆきが、顔を覆ってしゃくりあげると、
「ウーン……」
 不思議そうな、理解出来ないとでもいうような、納得が行かないような、そんな複雑な声音で唸り、しばらく考え込んでいたが、ややあってゆきの肩をぽんと叩いた。
「仕方ないナァ」
「CT先生」
 ゆきが見上げると、クレイジー・ティーチャーは、狂人とは思えない、やれやれ、と言った表情を浮かべていた。
 否、生徒を愛することが、クレイジー・ティーチャーの人間時代からの根本だとしたら、ゆきという生徒を前にして発する言葉、浮かべる表情は、まだ人間だったころ、完全に狂ってはいなかったころのクレイジー・ティーチャーの名残なのかもしれない。
 ゆきが、ヒトの幸いのために存在する小さき神である、という事実と同じくらいに、クレイジー・ティーチャーを彩り、かたちづくるアイデンティティなのかもしれない。
「言っておくケド、そいつは仇ナンダよ。どうしたッテ殺すシカない存在なんダ。それは判るヨネ?」
「……ああ」
「デモ……ゆきクンの、可愛い生徒の頼みダッタら、今回ダケ見逃すクライは、してもイイヨ」
 フウ、とやけに人間臭く溜め息をつき、クレイジー・ティーチャーがゆきを見つめる。
 例え彼が狂った殺人鬼だとしても、今の彼の眼差し、生徒という存在に向ける表情は、真摯で、偽りがなかった。
 ゆきはぎゅっと唇を噛み、頷く。
「……ありがとう」
「キミが礼を言うべきコトじゃないヨ、ソレ」
 と、やけにまともなことを言ったあと、クレイジー・ティーチャーは、まだガタガタと震えているフレイドを、ゆきに向けるのとは打って変わって冷たい、それでいて殺意と憎悪と怨嗟に満ちた眼差しで見つめ――それは、睨み、と表現する方が正しいのかもしれないが――、
「ゆきクンに言いナヨ。それから、二度とボクの前ニ現れルナ。次は、絶対に、殺ス」
 そう吐き捨てて、フレイドに背を向けた。
 顔を見るのも忌まわしい、と言うよりは、顔を見ていると殺したくなる、と解釈するのが正しいのかもしれない。
 ゆきはごしごしと涙を拭い、
「ありがとう、CT先生」
 泣き笑いではあったが笑顔で、もう一度礼を述べると、展開について行けずおどおどとふたりを見比べているフレイドのもとへと歩み寄った。
 そして、手を差し伸べ、言うのだ。
「仲直りじゃ、ふれいど。一緒に行こう、一緒に生きよう」
 ゆき自身の責務、存在意義を全うするために。



 6.存続−平行線

 結局。
 フレイドは、まだ市役所にも行っていなかった。
 クレイジー・ティーチャーを探すこと、何としてでも殺すことに懸命過ぎて、そのための準備や情報集めに専念しすぎて、それ以外のことはほとんど知らないのだった。
「じゃあ……例えば」
 翌朝一番に、ゆきの小さな手に引かれて市役所へ向かいながら、フレイドはきょろきょろと周囲を見渡していた。
「あの、いかにも凶悪です、ってツラした連中も?」
「うむ。映画の中の役割から解放されて、このまちに適応しておるよ」
「……そう、なのか……」
 クレイジー・ティーチャーは、今日も元気に登校し、先生をしているはずだ。
 彼が教師として迎え入れられ、綺羅星学園で教鞭を取っていることを聴かされて、フレイドの銀幕市への認識は少し変わったようだった。
 ゆきは、たくさんの言葉を、説明を重ねる。
 フレイドを生かすため、クレイジー・ティーチャーに殺人を犯させぬために。
「じゃから、ふれいど。おぬしも、せっかく実体化出来たのじゃから、ここで、銀幕市民として生きよう」
「……」
「せっかく出会えたのじゃもの、わしは、おぬしとも、友達になりたい」
「……」
 ゆきの言葉に、フレイドはしばし黙り、
「お前って」
「うむ、どうかしたかの」
「変なガキだな」
「……そうかの?」
「ああ」
 呆れたように言った。
 はあ、という溜め息が漏れる。
「判っちゃいるんだ」
「うむ?」
「アイツはどうあっても俺を許さないだろうし、アイツが殺人鬼であるって事実と、俺とアイツが相容れないって真実は、多分この先、この魔法とやらが終わるまで交わらない」
「……そう、なのかの」
「平行線ってやつだよ、今更だけどな。俺は、何であの時、同僚や生徒を殺したのか、その理由を知らない。設定不足だったんだな、古い映画にはよくあるらしいが」
「……」
「現実では、理由があるから罪を犯す。だがな、映画は違ェ。罪が必要だから理由があるんだ。――それを、実体化して初めて知った。俺って存在は、こんなにも不確かなんだ、ってな」
「ふれいど」
 ゆきが見上げると、フレイドは肩をすくめた。
「だが、まァ」
「うむ?」
「せっかく助かった命だ、無駄にはしないさ。平穏に生きられるってェんなら、それも悪くない。――巧く、適応してやるよ」
 にやり、と笑い、首から下げた丸い鉄塊を弄る。
 元々は拳銃だった、クレイジー・ティーチャーの怪力によって丸められてしまったそれを、思うところあってか、フレイドはペンダントのように鎖を通して首からかけているのだった。
 それが自戒であるのか、執着であるのかは、ゆきには判らない。
 判らないが、ここで生きると、このまちに適応すると言ったフレイドを信じたいと思う。
「ってなわけで、座敷童子さんとやら、市役所への案内、よろしく頼むぜ」
「うむ。――おや、そういえば、ふれいど」
「ん、ああ、どうした?」
「いや、おぬし、最初に会った時のようなしゃべり方は、もうせぬのか?」
 温厚で穏やかなあの口調では話さないのかと尋ねると、フレイドはまた肩をすくめた。
「今更お前の前で猫被っても仕方ないだろ」
「……なるほど」
 大真面目にゆきが頷くと、フレイドは呆れたように笑った。
 その表情は、クレイジー・ティーチャーを何としてでも葬ろうとしていた、執念にも似たどす黒さからは、遠い。
「変なところだな、銀幕市って」
「……褒め言葉かの、それは?」
「あー……まァ、たぶんな、たぶん」
 そんな、暢気でのんびりした会話を交わしながら、ふたりは朝の銀幕市を行く。
 ――例え、ふたりの男の歩く道が、平行線上にしかないのだとしても、ゆきは、彼女自身のアイデンティティのためにも、ふたりが生きていることを、生きると選んだことを、喜ばしく思うのだ。
 そして、いつかは、許し合えるようになってほしい、とも。

 様々な事情、思惑を孕みつつも、明るい太陽に照らされた銀幕市は、今日も鮮やかな青空に映えて、きらきらと輝いているようだった。

クリエイターコメント今晩は、いつもお世話になっております。
プライベートノベルのオファー、どうもありがとうございました。お届けが少々遅れまして、大変申し訳ありません。

ともあれ、因縁のおふたりの再会と再戦をゲスト様を交えて、ということで、大変楽しく書かせていただきましたが、狂気先生の殺人鬼ぶりと生徒偏愛ぶり、座敷童子さんの可愛らしさと懸命さ、金髪氏の歪みや執念を、巧く描けていたでしょうか。

捏造してしまった部分も多々ありますので、口調や心情、場面など、おかしな箇所がありましたらご一報くださいませ。

ちなみにタイトルの『パラレルライン』は平行線を示す英単語ですが、本来のスペリングは『Parallel Lines』。複数形であるべきなのですが、決して交わらぬ道を強調するために、平行線の一本のみを、ということで単数形にしております。

それでは、ご依頼どうもありがとうございました。
楽しんでいただけるよう祈りつつ。
公開日時2008-05-15(木) 21:50
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